2023-11-14

37歳と19歳の結婚は気持ち悪い

同性婚を認めないなんておかしい

これらは両立する思考です

同性に発情する人は美しく、

19歳に発情する37歳は気持ち悪い、それだけです

 

外野がとやかく言うことではありません

なんて外野に対して指図する道理はありません

 

誰が誰と結婚したって

他人の結婚に口を挟んだって挟まなくたって

何だっていい どうだっていい 

無関心こそぼくたちが目指した多様性です

言葉遊びではありません 

 

美しき調和の時代、令和において

インターネットでのもっとも紳士的な

振る舞いは、沈黙することです

 

何かを得るために何かを捨てるように

多様性を望む僕たちは 言葉を捨てましょう

言葉を失えば、海の底でひとりになれます

ひとりとは、やさしいということです

真にやさしいひとは、ひかりのなかで

終ることができます

 

 

 

2023_06_18

SNSについて


最近 いや かなり前から、思考がSNSに侵されていて、歪められていて、すごく苦しい

 

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例えば、

「人の恋文を晒しあげて笑うなんて最低な行為」という主張を目にすると、こんな意見が出るだろうなと想像できる(してしまう)ようになった。

 

「そうやって言う人は、黒岩知事の不倫メールを見ても、同じことを言うのだろうか。 (言わないでしょう。正義を気取ってはいても、結局は救いたい相手を選んでいるのでしょう)」

 

それに対して想定される意見は、例えば、こんなあたり。(な気がする)

 

「世の中にそもそも、平等なんてないじゃん。司法の世界ですら、被告の容姿が与える印象が良いほど量刑が軽くなるってデータがあるくらいだし。広末涼子が擁護されるのは自然なこと」

「それの何が悪いのか分からない。黒岩知事のメールを見たら生理的に気持ち悪いと思ってしまうし、広末涼子の手紙はそう思わない。それっていけないこと?」

 

こうやって、自分の中で架空リプ連想ゲームを繰り返していき、試行回数が閾値を超えると、だいたい「諦め」「無関心」「開き直り」「極論」「揚げ足取り」くらいしか人間にできることは無いのだという結論に収束しそうになってしまい、目の前が真っ暗になる。

(itoiさん、あなたの限定的な知性が原因なのに、人間全体の話へすり替えてて、お見事です)

 

 

世界中、いつでもどこでも誰とでも繋がれて、自分の意見を自由に発信できて、多様な価値観を認め合える場所。マツコの知らない美しいSNSの世界。現実にあるのは、耳を聾するほどの「愛されたい」「さみしい」という阿鼻叫喚でした。目を覆いたくなるほどの誹謗中傷でした。世界中の人と繋がった結果、僕は「まぁ、人それぞれだと思いますけど」という留保なしでは喋れなくなり、一人ぼっちになりました。SNSは、ひいては議論というものは、ひいては他者を理解し受容するという行為は、僕には早すぎたようです。

 

SNSが僕たちの生活に現れて、多くのことがおかしくなってしまいました。アメリカをはじめとする多くの国で政治的分断が深刻化し、分かり合えない結果としての二極化は凄惨な暴力を生み出しました。人類が抱えていたルッキズムが先鋭化して、十代の女の子の自殺率が有意に増加しました。それどころか僕たちは、男性器をぶら下げて女湯に入ってくる人の対応ですら分からなくなってしまいました。

 

何の話でしたっけ?恋文でしたね。

難しい問題ですけど、あくまで個人的な意見としては、あんまり人の恋文を晒すのって良くないんじゃないじゃないですかね。まぁもちろん、人それぞれだと思いますけど。ケースバイケースだと思いますけど。

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例えば、Twitterに流れる一個の呟きを見ると、(整えた文章にして)これくらいの分量の言葉が反射的に、自動的に脳内で生成されるようになってしまった。それらは、自分自身の中から生まれた言葉というよりは、出来損ないのLLMのような、SNS上で見かけた言葉・思想の乱雑な繋ぎ合わせなので、自分でも何が正しいのか分からなくなってしまい、嫌な感情だけが溢れて、たまに涙が出てきて、ただ、助けてくださいと思う。

 

そうして、

助けてください という呟きが脳内で投稿されると

デジタル・マリー・アントワネットがこんなリプを返してくれる

 

「救いがほしいなら、SNSを辞めればいいじゃない」

 

 

最近の嬉し(い)(かった)こと

冗談みたいなとろたくを食べた 出てきた時うれしかった

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アクモンのライブに行った 時折震えてしまうほど スタンディング席で周りが踊り狂う中ひとり茫然と立ち尽くしてしまうほど かっこよかった 

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自炊が少しずつできるようになってきた

(技術としてではなく、気力的な意味で)

本も少しずつ読めるようになってきた

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禁煙が1/1から続いていてかなり凄い 煙草を吸う夢ばかり見るようになって、相対的に嫌な夢を見ることが少なくなった 

 

月のお給料が4万円昇給した

 

4Kレコーダーを買った 一人暮らしの自由を初めて享受したような気持ちになった 番組表を観るのが楽しい 全部自分のもの マツコ会議 マツコの知らない世界 マツコ&有吉かりそめ天国 カンブリア宮殿 全部観れる これがきっかけで、テレビをよくつけるようになった テレビのついた夜中の部屋は、なんだかそれだけで暖かい感じがして、ちょっと大丈夫になる気がする マツコと有吉が大好き 心根がやさしいのに鋭敏な感受性を持ち合わせてしまった人が、この世界のいやな部分と折り合いをつけて現実を生き抜くために獲得したみたいな暗いユーモアが好き 彼らの何を知ってるんですか? 

 

成田祐輔さんに最近惹かれてしまう

強い色気を感じる 機知に富んだ言葉も素敵

推す という感情との邂逅

 

会社の後輩が自分の口癖を使って話していた

「そしたらば」

 

米津玄師の「Lady」という新曲が素敵だった

中村佳穂が纏っていそうな空気というか気配をイントロに感じた どんど焼きの中から生まれた音楽みたいな感じ 明るくて暖かい感じ 言葉にしたら全然違うような気もしてきた

 

晴れた日に車から木が生えてた

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久しぶりに富士山を見た

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日記ってこんなにまとめて書くものじゃない気もするけど、そもそも雑記だから大丈夫だった いやでもそもそも夏休みの日記も初日と最終日にしか書いたことなかった そういえば大学生の時に初めて買ったほぼ日手帳は3日しか続かなかった(あまり自分の書いた文章を読み返したくないということに気付いたから) 村上春樹がエッセイか何かで、「自分の文章を読み返すということは、自分の脱いだ靴下の匂いを嗅ぐみたいな気恥ずかしさがある」というようなことを言っていたのが自分の中に残っている わかります 

 

 

脳内垂れ流しみたいな感じでかなり好き勝手に書いてしまいました。(大変読みづらいとは思いますが) おかげで少しうれしい気持ちになりました。

2023_02_04

 

物事とは、世界とは、暮らしとは、もしかしたら自分が願った逆の方向へ進んでいく様に出来てるんじゃないか。小さな子供が、生まれてはじめて世界に見出した一つのささやかな決まり。イオンへ行く日には雨が降った。鉛筆を綺麗に削っていった日には下敷きを失くした。プールで背泳ぎをすると必ず突き指をした。手作りのデスノートに恐る恐る名前を書いた人は、みるみる元気になっていった。教室の日めくりカレンダーが剥がされていくたび、その子の学習は強化されていった。

 

そうして不貞腐れてしまった悲しい子供が節分の日を迎えると、「鬼は内 福は外」と言いながら豆を撒くようになる。校庭の築山にそびえ立ち、神さまに向かって「鬼は内 福は外」と叫びながら豆を投げつけた。神さまがその子の願いを叶えてくれたのは、それが最初で最後だった。子供は築山の上で独り、鬼になってしまい、あらゆる福から逃げられるようになった。

 

鬼は戸惑った。一番の拠り所にしていた世界の法則が崩れてしまって。鬼は試しに、愛してください と祈ってみた。誰にも愛されなかった。それならばと、こっぱみじんにしてください と叫んでみた。誰にも愛されなかった。鬼はもう、何も分からなくなって、胸が潰れそうになっていた。

鬼の願いは、ただ一つだった。

「人間に成りたい」

卑屈と謙虚を取り違えず、自信と慢心を間違えず、鼻につかない程度に聡く、利用されない程度に優しく、そうやって針に糸を通すような所を目指しながら、でもたまには「人間だし」と誤魔化しながら、犬を愛しながら。見よう見まねで憶えた踊りで生きてみた。恋は下手だった。

 

でも、そうやって足掻けば足掻くほど、なりたかった人間の姿から一歩一歩着実に遠ざかっていった。どんどん優しさを失って、許せないことが増えて、どこにも馴染めなくて、本当に思っていることが言えなくて、近づいてきてくれた人を傷つけた。優しくなりたい と願えば願うほど、鬼はどんどん鬼として成熟していき、周りから人がいなくなっていった。流浪の果てに鬼ヶ島へと辿り着き、鬼は安堵した。やっと、独りじゃなくなった。俺の居場所が、ちゃんとあったんだと。そこには、他の鬼が沢山いた。お喋りをしたり、お酒を飲んだり、鬼なりのセックスをしたり、凄く楽しそうにしている。サイゼリヤ鬼ヶ島店で、歓迎会をしてもらった。楽しく喋っていたはずだった。ただ、一人の鬼が、鬼の目を真っ直ぐ見つめてこう聞いた。

「お前は、どうしてここにいる?迷い込んでしまったのか?」

子供は、また独りになった

 

架空サラリーマン日記

新年を迎えて、家族のグループラインに父がこんな言葉を残していた。

「あけましておめでとう。ー中略ー 

親として何よりも嬉しいのは、お金や仕事の成功ではなく、生き甲斐を持ち、瞳を輝かせながら生きている姿を見せてくれることです。」

 

小さい頃から表現の世界に憧れていて、その中でも自分は言葉について考えるのが好きだったから、就活では出版社を受けた。就活とは、血反吐を吐く思いで社会にしがみつこうとする隠れた異常者をはじき出すために、社会が獲得した一つの免疫機構らしく、ほとんどの選考は正しく落ちた。ただ、一つだけ、ニッチで、小さくて、世界の隅っこで慎ましく息を潜めているみたいな出版社から内定をもらった。初めて、この世界に居場所ができたみたいで、嬉しかった。

内定の報せを受けた瞬間、父の表情は明るかった。ただ、目の前の人間の口から、自分の全く知らない社名が出てくるとは思ってもいなかったらしく、一刹那の狼狽ののち、その表情は落胆、あるいは憎しみで満ちていった。

「まさか、そこに行くわけじゃねえよな」

「最初は良かったとしても、みるみる同級生とも格差が出来て、惨めさに耐えられなくなる」

「いつもの、不貞腐れで、俺への当てつけで、俺に罪の意識でも覚えさせたくて、そこに行くつもりか?」

そんな激しい言葉たちに反論しようとすると、慣れているはずなのに、嗚咽してしまってうまく喋ることが出来ない。

「あのなあ、今の大学を出させるまで、お前にいくらかけたと思ってんだよ。お前の周りで、そんな社格のところに行くやつがいるか?これまでお前に費やしてきた教育の結果が、これかよ。ふざけんじゃねえよクソが」

 

今は、適切な社格の金融機関で、労働に励んでいる。新築のマンションに住んで、会社まで15分で行けて、美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで眠っている。ナイチンゲールも見て見ぬ振りをするほどに、何不自由なく、健やかに生き延びている。たまにすべてが虚しくなって、わびしくて、さみしくて、助けてくださいと思う時もあるけど、労働はそんなくだらないことを考える時間も気力も洗い流してくれる。寿命と交換こした賃金で払った生姜焼き定食で、特に望まれることのない命を繋いでいる。

これまでもそうだったように、すべて父が正しかったのだ。それなのに、父は何を想って、LINEにあの言葉を書いたのだろうか。父の前で、自分はどんな顔をしているのだろうか。一生分の堆積もあるのだろうけど、こんなにくだらないことで、こんなに傷付いていたんだと、この日記を書いて初めて気付く。いつになったら、拗ねずに父と向き合えるようになるんだろうか。いつになったら、ぜんぶ大丈夫になるんだろうか。

父のことが、何よりも嫌いだった。

父の子供でいることが、苦しかった。

父が消えることを祈りながら眠りにつき、父の乱暴に玄関を開ける音が、夢の中でも聞こえてうなされる毎日だった。父と会話すると、父の視線を受けると、まるで自分が優しい人間かのように思えたりもした。

優しい人は、自分の人生に納得できないことを誰かのせいにしたりしないし、人に死んでほしいなんて思いが頭をよぎることはないし、心のどこかで自分を可哀想だなんて思わないし、こんなに意地悪で陰湿で軟弱で最低な文章を書いたりしないよ。もう全部諦めて、命が終わる時を静かに待っていなさい。

2023_01_08

ざっきちょう【雑記帳】

一般には他人が読んでも構わない程度の個人の感想や意見などを記載するもの。

出典: フリー百科事典『Wikipedia

(2020/11/11 15:18 UTC 版)

 

余りに完璧な定義で、見惚れてしまう。

特に、「他人が読んでも構わない程度の」という修飾がとても良いと思う。「一般には」という前置きも、一般には含まれない雑記帳への想像の余地を残してくれていて楽しい。

 

 

『昨年は、何も無かった。

 一昨年は、何も無かった。

 その前のとしも、何も無かった。』

 

『ちかごろの僕の生活には悲劇さえ無い。』

 

そんな風に嘆いていた太宰でさえ、見たらきっと閉口してしまうような生活。そんな中でも、少なからぬものものが、思い出が、感情が、心の中に泡みたいに浮かんでは、消えていく。そのほとんどは、取り留めもないような瑣末なことだけれど、その僅かは、鼻唄、あるいは涙という形で取り留められたりする。この雑記帳は、その鼻唄や涙を、他人が読んでも構わない程度の文章に変換する試みの場として使えたらいい。そしてそれが、誰かに伝わったりしたら、どんなに良いだろう。人間が恋と革命の為に生まれてきたのだとしたら、余りにもささやかなこの醜行が私の革命ですと声の限り叫んで、いつか神様に見つかったらいい。