架空サラリーマン日記

新年を迎えて、家族のグループラインに父がこんな言葉を残していた。

「あけましておめでとう。ー中略ー 

親として何よりも嬉しいのは、お金や仕事の成功ではなく、生き甲斐を持ち、瞳を輝かせながら生きている姿を見せてくれることです。」

 

小さい頃から表現の世界に憧れていて、その中でも自分は言葉について考えるのが好きだったから、就活では出版社を受けた。就活とは、血反吐を吐く思いで社会にしがみつこうとする隠れた異常者をはじき出すために、社会が獲得した一つの免疫機構らしく、ほとんどの選考は正しく落ちた。ただ、一つだけ、ニッチで、小さくて、世界の隅っこで慎ましく息を潜めているみたいな出版社から内定をもらった。初めて、この世界に居場所ができたみたいで、嬉しかった。

内定の報せを受けた瞬間、父の表情は明るかった。ただ、目の前の人間の口から、自分の全く知らない社名が出てくるとは思ってもいなかったらしく、一刹那の狼狽ののち、その表情は落胆、あるいは憎しみで満ちていった。

「まさか、そこに行くわけじゃねえよな」

「最初は良かったとしても、みるみる同級生とも格差が出来て、惨めさに耐えられなくなる」

「いつもの、不貞腐れで、俺への当てつけで、俺に罪の意識でも覚えさせたくて、そこに行くつもりか?」

そんな激しい言葉たちに反論しようとすると、慣れているはずなのに、嗚咽してしまってうまく喋ることが出来ない。

「あのなあ、今の大学を出させるまで、お前にいくらかけたと思ってんだよ。お前の周りで、そんな社格のところに行くやつがいるか?これまでお前に費やしてきた教育の結果が、これかよ。ふざけんじゃねえよクソが」

 

今は、適切な社格の金融機関で、労働に励んでいる。新築のマンションに住んで、会社まで15分で行けて、美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで眠っている。ナイチンゲールも見て見ぬ振りをするほどに、何不自由なく、健やかに生き延びている。たまにすべてが虚しくなって、わびしくて、さみしくて、助けてくださいと思う時もあるけど、労働はそんなくだらないことを考える時間も気力も洗い流してくれる。寿命と交換こした賃金で払った生姜焼き定食で、特に望まれることのない命を繋いでいる。

これまでもそうだったように、すべて父が正しかったのだ。それなのに、父は何を想って、LINEにあの言葉を書いたのだろうか。父の前で、自分はどんな顔をしているのだろうか。一生分の堆積もあるのだろうけど、こんなにくだらないことで、こんなに傷付いていたんだと、この日記を書いて初めて気付く。いつになったら、拗ねずに父と向き合えるようになるんだろうか。いつになったら、ぜんぶ大丈夫になるんだろうか。

父のことが、何よりも嫌いだった。

父の子供でいることが、苦しかった。

父が消えることを祈りながら眠りにつき、父の乱暴に玄関を開ける音が、夢の中でも聞こえてうなされる毎日だった。父と会話すると、父の視線を受けると、まるで自分が優しい人間かのように思えたりもした。

優しい人は、自分の人生に納得できないことを誰かのせいにしたりしないし、人に死んでほしいなんて思いが頭をよぎることはないし、心のどこかで自分を可哀想だなんて思わないし、こんなに意地悪で陰湿で軟弱で最低な文章を書いたりしないよ。もう全部諦めて、命が終わる時を静かに待っていなさい。